五龍閣物語
五龍閣物語のページでは、この貴重な洋館が持つ豊かな背景と、
それを取り巻く情緒溢れる物語を紐解いていきます。
1921年(大正10年)
五龍閣施工
清水焼窯元を洋食器・ガイシ・陶歯の製造へと国際的な事業に発展させた
明治の起業家三代目松風嘉定の邸宅です。
設計は京都帝国大学建築学科の創設者
武田五一
五龍閣はもともと和館・洋館併設型邸宅の洋館部に当たり、武田五一によって設計されました。彼はイギリス留学経験があり、アール・ヌーヴォーやセセッションなどの新しい建築潮流を取り入れた設計を行っていました。五龍閣は入母屋、切妻など、和洋風を取り混ぜた瓦屋根や、内部にはステンドグラスで飾られたアーチ窓など、見るものを飽きさせない設計が施されています。
立体ギャラリーのような雰囲気
この建物の中心には三階までの吹き抜け階段があり、京都の洋画家鹿子木孟郎の油絵が飾られていたことから、立体ギャラリーのような雰囲気を持っていました。松風嘉定は鹿子木孟郎の友人でありパトロンでもあり、邸宅はギャラリーとしても使われていました。
時を経て、
今もなお愛されるカフェへ
後にこの建物は湯豆腐屋「順正」に受け継がれ、2009年にカフェとして生まれ変わりました。
現在もその芸術的な景観を多くの人に楽しんでいただいています。